夫が体調を崩して、家のことがほとんど私ひとりに乗っかった、ある2週間の話です。仕事も、娘の看病も、夫の看病も、全部が同時にやってきました。あのとき自分が何を抱えて、何を手放したのか。誰にも言えなかったことを、ここに書いておきたいと思います。
その夜、何度も抱き上げていた
とにかく眠かったです。けれど、娘の咳には痰がからんでいて、苦しそうな音がする。このまま放っておいたら、何かのきっかけで窒息してしまうかもしれない――そんな恐怖が、眠気よりも先に体を動かしていました。
あおむけでは苦しいのか、娘は横向きやうつぶせで眠ろうとします。横向きならまだいいのですが、うつぶせになるとセンサーが反応してアラームが鳴る。鳴ったらまた起きて、抱き上げて、また寝かせて。時計を見ると、まだ23時。私が寝てから、まだ30分も経っていませんでした。やっと寝かしつけて、自分も眠りに落ちる。けれど、また数分後にはアラームが鳴ります。
本当はそれまで、夫が娘と同じ部屋で寝てくれていたので、私はこんな夜を経験せずに済んでいました。けれど夫自身が体調を崩し、咳が止まらなくなったことで、状況は一変します。夫の咳で娘が起き、娘の泣き声で私が起き、私が娘をあやしに行く足音で夫が起きる――家族全員が、互いの音で起こし合う負のスパイラルに入っていました。
私自身も腰痛があり、硬いマットレスのベッドでなければ眠れない体です。娘をバウンサーに乗せて私の寝室に呼んでみたこともありました。けれど、もう娘はバウンサーのフレームに頭が当たるほど大きくなっていて、寝返りもできるようになった体には、あの寝心地は窮屈だったと思います。結局、家中のドアを全部開けて、どこにいても娘の泣き声が聞こえるようにしました。それが、あの時期にできた精一杯の対策でした。
アラームが鳴ると、考える前に体が動いていました。「え、さっきじゃん。なんで?」と思う頭と、すでに娘を抱き上げている体が、いつもずれていました。痰が落ち着くまで抱いて待つ時間、実は私自身もほとんど意識がなく、抱っこしたまま眠っていたことも多かったと思います。
夫の看病、娘の風邪、仕事の繁忙期が同時に来た
最初は、娘と同じような症状でした。鼻水と軽い咳。市販薬をいろいろ試しながら2日を過ごし、土曜日に娘と同じクリニックを受診すると、娘には痰切りの薬が、夫には痰切りと吸入ステロイド、気管支拡張の薬が出ました。
そこから1週間経っても、まったく良くなりません。ご飯を食べたら、そのまま寝込んでしまう。出社もままならず、在宅勤務を続けていました。会議にも咳で参加できず、発言や受け答えはすべてチャットでこなす日々。1回目の受診から1週間後、今度は呼吸器専門のクリニックを受診し、咳止めのシロップや薬を新たに処方してもらいました。それでも、良くなりません。
咳が始まってから4週間が経ち、いよいよどうにもならなくなってきたところで、再び呼吸器のクリニックへ。検査の結果、前回0.8だったCRP(炎症の値)が10まで急増していて、抗生物質が処方されました。そこから1週間で、ようやく回復に向かいました。
その間、私は仕事でも大きな波が来ていました。新製品の発売があり、本来なら2、3ヶ月かけて得意先を回るはずの営業活動を、育休明けでまだ本調子ではない中、GW明けからの1ヶ月という短い期間に圧縮してこなさなければならない状況。さらに時短勤務、さらに夫の看病が重なります。結局、時短のことは一旦置いて、お迎えのギリギリまで仕事をする日々になりました。得意先の都合で夕方の時間帯を希望されることも多く、そこに合わせざるを得ませんでした。
朝のルーティンも、いつもとは違う形に変わりました。夫はギリギリまで起き上がれず、これまで2人で分担していたことが、ひとり分の仕事になっていきます。保育園の送りも、本来は夫の担当でした。それが、夫が歩けないほどの状態だったため、私が送ることになりました。
毎日をなんとか繋いでいくだけで精一杯だったその頃、せっかく落ち着いていたはずの娘の夜の寝かしつけまで、また不安定になっていきました。
せっかく落ち着いていたのに、また夜が不安定になった
22時のミルクは、本当は3回食に切り替わって、大人と同じタイミングでご飯を食べるようになってから、自然にやめる予定でした。けれど実際にやめた理由は少し違います。22時になっても娘がなかなか起きず、起きてもあまり飲まない。そんな状態が続いていた一方で、私自身は家事・育児・看病・仕事でパツパツで、1秒でも長く眠りたかった。22時のミルクのために起きることが、もう限界でした。大人都合でやめさせるのは嫌だったけれど、娘も飲まなくなってきていたこともあり、やめることにしました。
やめた初日から、娘は朝までぐっすり眠ってくれました。
けれど、その落ち着きは長くは続きませんでした。娘が風邪をひき、夜中に咳でむせて起きるようになったのは、ちょうどこの直後のことです。せっかく夜通し眠れるようになったばかりだったのに、また何度も起きて、抱き上げて、を繰り返す夜に戻ってしまいました。落ち着いていた分だけ、その落差はこたえました。
離乳食は残して、自分のご飯は手放した
22時のミルクをやめたあと、夜の体制も大きく変わりました。それまでは、22時のミルクを私があげて、その後の寝かしつけは夫の仕事。娘と夫が同じ部屋で寝て、私は別室で眠るというスタイルでした。けれど夫が咳をするようになると、夫の咳で娘が起き、娘の泣き声で私が起き、私が娘をあやしに行く足音で夫が起きる――そんな負のスパイラルが回り始めます。そこで、夫には別室で寝てもらうことにしました。
寝かしつけも、ここから私の仕事になりました(娘自体は、わりとすぐ寝てくれていました)。娘の部屋では私が休めないので、自分の寝室にバウンサーを持ち込んで、そこで娘を寝かせることに。でも娘はもう大きくなっていて、バウンサーには少し窮屈そうでした。そのうえ風邪で咳や痰がひどく、夜中に何度も咳で起きるたびに、窒息しないか見守りながら、必要なら抱っこをしたり、水分を取らせたりしていました。
そんな生活の中で、私の体力が限界を迎えます。22時半に寝て5時に起きる(その間、複数回咳で起こされる)生活は、長くは持たないとわかっていました。でも、それしか選択肢がなかったから、やるしかなかった。22時のミルクをやめれば、もう少し早く眠れる。たとえ少しでも、体力を回復できるかもしれない――そう思って、ミルクをやめることにしました。
この時期、自分の中で唯一はっきりさせていたことがありました。離乳食だけは、絶対にちゃんとやる。娘は小さく生まれたこともあり、私自身、直接母乳をあげられたことがありません。搾乳したものを飲ませることはできても、直接は一度もない。そのことに、ずっと負い目のようなものを感じていました。だからこそ、離乳食だけは手を抜きたくなかったのだと思います。
その代わりに、自分のご飯は手放しました。少しでも楽をするために選んだのが、すでに食材が切ってあるミールキットでした。お惣菜という選択肢もありましたが、コンビニのご飯がすぐに飽きるのと同じように、お惣菜もきっと飽きるだろうと思ったこと、それに毎日買いに行く手間や、売り切れの心配をしたくなかったこと。それで、3日分の献立で食材がまとめて届く、生協系のサービスに頼ることにしました。
もちろん、ミールキットの日もあれば、ちゃんと作る日もありました。長いと30分くらいかかることも、普通にありました。復職した今振り返ると、その30分がどれだけ惜しいものだったか、改めて思います。
復職前は、自分のご飯を手放すことに罪悪感がありました。でも最後は、開き直りました。離乳食だけは守る。それ以外は、手放していい。そう決めた瞬間が、あの頃の私にとって、一番の気づきだったのかもしれません。
誰にも言えなかったことを、ここで言葉にする
孤独だった、というのとは少し違う気がします。むしろ、忙しすぎて、孤独を感じる余裕すらなかった。次のタスク、次のタスク、と動き続けているうちに、いつの間にか一日が終わっている。そんな感覚でした。
夫が体調を崩している間、家事や育児の負担はすべて私に乗っかっていました。本当は、助けてほしかった。せめて、代わってほしいときもあった。けれど、それを言葉にする時間も、気力もありませんでした。もし愚痴を言う時間があったなら、その数分間、目を閉じて眠りたかった。それくらい、余白がない日々でした。
アウトソーシングという選択肢も、一瞬頭をよぎりました。でも、何をどこまで頼むか考える時間がない。頼むには立ち会いが必要なのに、その時間がない。結局、考える時間を作ること自体が、もう一つのタスクになってしまい、手をつけられませんでした。
誰にも言えなかったのは、夫に言えなかったというより、そもそも「言う」という行為に割く時間がなかった、というのが正確だと思います。気づいたら一日が終わっていて、気づいたら次の日が始まっていました。
今、こうして言葉にしてみると、当時のモヤモヤが全部消えるわけではありません。でも、誰にも話せなかったことを、誰かが読んでくれるかもしれない場所に置けたことで、少しだけ、心が軽くなった気がします。
あの頃の自分に、今伝えたいこと
あの頃の自分に、一つだけ伝えられるなら、「もっと手を抜いていいよ」と言いたいです。
「私は時短なので」と言って堂々と帰ること。完璧を目指さず、仕方がないと諦めること。愚痴を言う時間があるなら、その数分で目を閉じること。あのときの私は、そのどれもできていませんでした。でも今振り返ると、あれだけ「こうせねばならぬ」と思い込んでいたことの多くは、なかったらなかったで、案外どうにかなるものでした。
その「どうにかなるもの」の一つが、自分のご飯でした。離乳食だけは守って、自分の食事は手放す。あの頃ミールキットに頼った話は、こちらの記事で詳しく書いています。
[→ご飯を作らない選択をした背景はこちら(Oisixデリ記事へリンク)]
そして、働き方そのものについても、思うところがたくさんありました。時短勤務のリアルな話は、こちらの記事に詳しく書いています。
[→時短勤務1ヶ月半、定時で帰れたのは2回。それでも続ける理由(時短勤務リアル記事へリンク)]


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