あの日、私はミールキットをやめると決めた

私は、ある日突然、Oisixのミールキットをやめると決めました。
きっかけは特別な出来事ではなく、夫の看病と仕事の繁忙期が重なった、ただの平日の夜です。
あれだけ助けられていたミールキットを、なぜやめることになったのか。そしてやめてから何が変わったのか。
あの日からの変化を、振り返ってみます。

ミールキット時代、たしかに助かっていた

Oisixのミールキットを使い始めた頃は、本当に助かっていました。
カット済みの食材とレシピが一緒に届くので、「今日何を作ろう」と考える必要がない。
買い物に行く時間も、メニューを考える余力もない中で、これだけで気持ちがずいぶん軽くなりました。

味の濃さや辛さを自分で調整できるのもよかった点です。
レシピ通りに作りながらも、最後に少し手を加えれば、ちゃんと自分や家族の好みに寄せられる。
完成された料理が届くわけではないので、「自分でちゃんと作った」という感覚も残ります。
1食1,800円ほどという価格は安くはありませんでしたが、それだけの価値があると感じていました。

ゼロから食材を切って下処理するのに比べれば、圧倒的に楽でした。
フライパン一つで完結する日もあり、平日の夜をなんとか乗り切れている、という実感がありました。

このやり方さえあれば、フルタイムで働きながらでも、なんとかご飯は回していける。そう思っていました。

それでも、しんどさが消えなかった理由

ミールキットに助けられていたのは事実です。
それでも、ある時を境に「もう無理だ」と感じる瞬間がありました。

先週、6月13日に届いた回からデリに切り替えました。
きっかけは、夫の体調不良と私自身の仕事の繁忙期が重なったことです。
家事というより、生きること自体が限界に近づいていました。

決定的だったのは、夫が「ご飯はいらない」と言っている中で、自分一人分だけのために30分かけて作っていた時です。
面倒だな、と思いながらも、食材が痛むから仕方なく手を動かしていました。
誰かのためでもなく、ただ自分のために作る食事に、30分はあまりにも長く感じました。

ミールキットは、まな板、包丁、フライパンと、洗い物の数も多くなります。
さらに、一度炒めて取り出し、別の具材を炒めて、また戻して加熱する、という工程の多さも地味にこたえました。
汁物と副菜を同時進行させようとすると、頭の中のリソースをかなり使います。
仕事と家事と看病でもうクタクタな中、料理だけで複数の工程を並行させるマルチタスクは、正直しんどかったです。

さらに、作っている最中に娘が起きてしまうこともありました。火を消して娘のところへ行き、戻ってから再加熱する。
煮物ならまだいいのですが、炒め物だと水分が出てしまって、思うような味にならないことが何度もありました。

デリならレンジでの再加熱が比較的しやすく、こうした「中断」にも強かったのだと、後から気づきました。

デリに変えてから、何が変わったか

デリに切り替えて、まず変わったのは「中断への強さ」でした。
ミールキット時代は、娘が泣いて火を止めて戻ってくると、炒め物の水分が飛んでしまったり、味が決まらなかったりしていました。
デリはレンチンなので、途中で中断しても再加熱すればそれで済みます。
看病と育児と仕事を同時に抱えていたあの時期、「中断されても大丈夫」というだけで、気持ちがずいぶん軽くなりました。

洗い物も大きく減りました。まな板、包丁、フライパンを使わなくなっただけで、キッチンに立つ時間そのものが短くなります。
30分かけて自分一人分の食事を作っていた日々を思うと、10分でご飯が完成することの差は歴然でした。

そして何より、夜の時間の使い方の「気持ち」が変わりました。
以前は寝かしつけの最中も「そろそろ寝てくれないと晩ご飯が遅くなる」と頭の片隅で計算していましたが、その計算がなくなったんです。
日中は仕事で離れている分、子どもと触れ合える時間は限られています。
その時間を、時計を気にせずゆっくり過ごせるようになったことが、一番大きな変化でした。

家事の手間が減ったというより、家事のために削られていた「子どもと向き合う時間」が戻ってきた。
それが、デリに変えて一番よかったことです。

同じように迷っているワーママへ

ミールキットからデリへの切り替えは、私にとって「楽をするための選択」ではなく、「生きるための選択」でした。
夫の看病と仕事の繁忙期が重なって、生きることそのものが限界に近づいた時、料理に火を使う工程や、複数の鍋を同時に管理する頭のリソースが、どうしても余分なものに感じられました。
それでも「ちゃんと作らなきゃ」という気持ちが、なかなか抜けなかったのも事実です。

今振り返ると、あの時の自分に伝えたいのは、料理の手間を削ることは手抜きではなく、削った分をどこに使うかという選択だということです。
私の場合、それは子どもとの寝かしつけの時間でした。
計算なしで、ただゆっくり向き合える時間です。

もし今、「ご飯どうしよう」という声に押されてクタクタになっているなら、一度立ち止まって、自分が本当に守りたい時間が何なのか考えてみてほしいです。
料理を簡略化することで生まれた余白を、その時間に充てられたら、それはきっと「手抜き」ではなく「選択」になります。

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